はじめての「ダイブ」後編
こんにちは! マイキーの金子です。
14回目のブログとなる今回は前回のはじめての「ダイブ」についての続き。
コミュニケーションサービス「ツナグ」についての記事と順序を入れ替えてお伝えします。
それでは今回もよろしくお付き合いください。
前回のあらすじ
中学生のぼくと友達ははじめて行った夏フェスのライブで「ダイブ」という行為を目にし、憧れ始める。
そしてはじめての「ダイブ」を達成するために、毎日家で、学校で、ばかばかしい練習を始めたのだった。
果たしてはじめての「ダイブ」をすることはできるのか!?
気づけば、春。
ステージの上の4人のバンドメンバーがそれぞれの楽器をかき鳴らしている。フロアにいるぼくの視界には、山脈のように連なった大男たちの頭や肩のシルエット。その奥、眩いライトで照らされた中に蠢く4つの影。
その動きに呼応するようにステージ両袖の左右のスピーカーからは轟音が響いている。地鳴りのようなキックとベース。鋭いハイの効いたギターとボーカル。それらが一体となってぼくの鼓膜と三半規管を絶えず揺さぶっている。
フロアは身動きが取れないほど、ぎゅうぎゅう詰めだ。少し、また少し、人と人の隙間を縫って前へでる。ぼくが揉まれているものが音の波なのか、人の波なのか、判別がつかない。
朦朧とする頭の中でぼくが考えているのは、前へ進むこと。そして、ステージ前の柵に登り、そこから観客の波に飛び込むこと。
曲がギターソロに差し掛かる。ぼくは最後のサビ前を目指して人の波をかき分けて少しずつ前進していった。あと少し。ギターソロが終わるまでにぼくはなんとかステージ前の柵まで辿り着き、よじ登った。
バンドのギターがこちらをみて、頷いたように感じる。でも分からない。それは一瞬のことで、頭の中は真っ白だ。柵の上に立ち、ぼくは大きく手を広げる。
サビ前の一瞬の静寂。何度も練習してきた。ぼくは少し膝を曲げ、後ろに向かって勢いよく背中からフロアの人の波へ向かって飛び込んだ。
その瞬間、より大きな音の波がぼくを掴んで後方へ押し流したーー。
夢だった。
目覚まし時計は朝の7時20分を差していた。遅刻だ。ぼくは飛び起きて朝の支度も早々に、家を出た。
急いで行けば、なんとか間に合う時間だ。急いでいても、音楽を聴いてから家を出ることは忘れない。聴いているのは夢の中と同じ、Special Thanksだ。
自転車を漕ぎながら、考えた。あの夢が本当だったならば、その夢の続き、飛んだ後の気持ちはいったいどんな気持ちなんだろう。
ぼくは中学校を卒業し、高校に入学した。中学校の教室で、一緒に「ダイブ」を練習した友達は皆それぞれに進学したり、就職したりして、「ダイブ」のことは忘れてしまったようだ。みんなの中で「ダイブ」は部活や勉強、恋愛に置き換わり、ぼくだけがいまだに「ダイブ」の悪夢に取り憑かれ続けているのだ。
その後もぼくは「ダイブ」をしてみたい、という一心で毎日を送り、聴く音楽も気づけばメロコアばかりを好んで聴いていた。
高校ではやはり、同じようなメロコア好きと一緒に音楽の話をしながら日々を送っていた。でも「ダイブ」の話はなんだか恥ずかしくてできなかった。
だから、「ダイブ」への情熱はひっそりと、でもしっかりと胸の裡に秘めてしまっておいた。
「ダイブ」するその日まで大事にしまっておこうと決めていた。
そんなぼくにようやくチャンスが巡ってきた。
それは、2009年5月31日(日)に開催された「SAKAE SP-RING 2009」。NAGOYA CLUB QUATTROにて13:00からのトップバッター・Special Thanksのライブだ。
ぼくはこのライブに照準を合わせた。
「はじめてのダイブは、Special Thanks」がいい。曲は、「Mr.Donut」がいい。
そう思っていたのだ。
高校の友達としめしわせてライブのチケットを取ったぼくは、名古屋は矢場町のパルコに集合した。
入場したら解散。それぞれが見たいバンドが出演するライブハウスへと別れる。
ぼくはそのままパルコの東館8階にエスカレーターで登っていった。すでにパルコ内にはぼくと同じように、Special Thanksを目当てと思しきTシャツ短パン姿の人たちがいっせいに同じ方向を向き進んでいく。
混み合う受付を抜け、はじめてのNAGOYA CLUB QUATTROへ入場する。キャパシティは500人ほど。はじめてのフェスで体験した豊田スタジアムに比べればこじんまりとしているが、先輩のライブを見に行った小さなライブハウスに比べれば格段に大きい、だがフロアは観客で寿司詰めだ。
ぼくは、「こんな中ではじめてのダイブが成功するだろうか」と不安になったが、すぐに首を振ってその考えを打ち消した。
夢で見た「ダイブ」だ。絶対に成功させてやる。
と、奥歯を噛み締めたその途端に、照明が暗くなった。BGMが消え、爆音でSEが会場に鳴り響く。
あちらこちらから観客の嬌声が上がり、一気に照明が明るくなった。その眩しくて何も見えないほどに真っ白なステージ上から、Special Thanksのメンバーがひとり、またひとりと現れる。
ぼくの心臓の鼓動が速くなる。全身に力を入れる。
SEが消える。ギターのジャックからのノイズが少し聴こえる。
「こんにちは、Special Thanksです」。間髪、フロア全体が轟音で支配される。
ぼくの頭は真っ白になり、何も考えられない。
でも、楽しい。何が何だかわからない。あちらからもこちらからも、観客の体がぶつかって、もみくちゃだ。そんな中で、普段聴いている曲の何倍以上の音量で、大好きな曲のただなかにいる。それだけで、幸せだった。幸せというよりは、歓喜、といった方がイメージが近いかもしれない。
嬉しくって、楽しくって、ただそれだけで、それ以外の気持ちを感じる隙間もないほどに、立て続けに連続で演奏される曲の中にいる、存在している。
ふと、我にかえるのはMCの合間。そのたびに、「絶対にダイブしよう」という決意を新たにする。
そして、ライブも後半戦に差し掛かった頃、待ちに待ったその瞬間はやってきた。
「Mr.Donut」。
来た! 演奏する曲名がコールされると前走が始まり、フロアのモッシュピットは周りの観客を巻き込みながら、まるで天気予報で見る初夏の台風のように、大きく広がっていく。
ぼくは懸命に転ばないようにしながら、少しずつ前へ前へと進む。炎天下の終わらないノックの最中のような気持ちだった。いつ終わるかはわからない。けれど、目の前の一球に集中しなければならない。同じように、いつ辿り着けるともしれないステージ前の柵を目指して、一歩、また一歩と進んでいった。
曲は中盤に差し掛かっている。急がなければならない。必ずこの曲でダイブしたい。
そんな時に、ようやく、目の前に鉄製の柵が観客の隙間から垣間見えたのだ。
この瞬間を逃してはならない。ぼくは柵に手を掛ける。しかし、汗でうまく掴めない。
今度こそ、と手をかけた途端、体が宙に浮くような違和感を覚えた。いや、持ち上げられるような、といったら良いのだろうか。
ぼくは柵にしがみつき、足をかける。柵の上に立つと、目の前の坊主頭の大男がこちらを見上げながら親指を上に向けてぼくに微笑んだ。そして、両手を横に大きく広げた。
この坊主頭の大男がぼくを持ち上げてくれたのだった。「グッドラック」とでも言いたげな表情だった。
ぼくは心の中で感謝して、その大男の方へ向かって、背中から「ダイブ」した。一瞬、振り向きざまに見えたステージ上では、ギターの人がこちらを向いてウィンクをしていたような気がした。
頭のなかは真っ白だった。不思議な感覚。サーフィンをしたことはない。雲の上を歩いたこともない。けれども、大きな波の上を滑っているような、転がされているような、不思議な感覚だった。人が人の上を転がるので、もっと何か荒々しい感覚なのかと思っていたが、不思議とそんな痛みとか、ゴツゴツした感じはなかった。当たり前かもしれないが、みんながぼくを落とさないようにと、持ち上げてくれているからだ。大好きな音の中で、地の上に足で立つのではなく、それ以上の楽しみを求めた結果が、「ダイブ」という行為なのかもしれない。
もちろん、そんなことを考える余裕はなかった。その時はただ、落っこちないようにと、必死だった。
でも、何かを成し遂げたような、充実感があった。結局、「ダイブ」は、練習では感じられなかった快楽だった。そこには当然として人が介在していた。人と人がやることだった。そしてそこには当然として、ひとりだけでは感じることのできない楽しさがあり、それがライブの醍醐味なのだ、とぼくはぼんやりと酸欠気味の頭の中で考えたのだった。
しかしそこにはあっけなさのようなものもあった。あれだけ熱中し、取り憑かれたように憧れた「ダイブ」という行為も、過ぎてしまえばなんだか何でもないことのようにも少しだけ思えた。でも、それは喜びや楽しさとは天秤にかけられないことだとも思った。それが、経験、ということなのかな、とぼくは考えたが、その寂しさについて考えることは極力やめようと思ったのだ。
以上が、ぼくのはじめての「ダイブ」についての経験談でした。
また、「SAKAE SP-RING」にも行きたいし、「Special Thanks」のライブにも行きたいと思います。
ぼくはもう「ダイブ」をする勇気はありませんが、今度は「ダイブ」を受け止める側になりたいと思います。